こんにちは。うかれ猫です。
長らくお待たせいたしました。
やっとここまでたどりつくことができました。
けれど、これもまだ第一歩なのであります。
少しずつ、時間を見つけて頑張っていくつもりですので、
どうぞ気長におつきあいくださいませ。
「うかれ猫」のこと |
うかれ猫という屋号(?)で詩を書きはじめて、もう18年になります。 もう、すっかりおなじみになっている人もたくさんいると思います。 私自身、うかれ猫とはずいぶん長いつきあいだなあとしみじみします。 つけてくれたうじゃうじゃ仮面さんは、イルカの歌の題名なのだと言っていました。 |
ものを書くということ |
言葉をつづるということは、私にとって、とても大切なことです。 長い間、ずっと詩を書いてきました。 けれど最近になって、詩というかたちで、表現したいことをはっきりと書くのもいいけれど、 もっとやんわりとじんわりと、自分の伝えたいことをにじみでるように表現するには、 小説というかたちをとるのもいいなあと思いはじめました。 つたないけれど、せいいっぱいの言葉で。 自分の感性を支えている大きなものは、やはり文学と音楽であると認識しています。 そうして、この年月の中で構築されてきた感性を、なにかを書く、ということで開放したい。 日常の多忙さに踏みつけられて、その大事な作業をを忘れ去ることがこわかったのです。 それが、このHPを立ち上げた動機です。 |
ものかき経歴 |
なんだかかたくなってしまってイヤですが、書いておかないと自分でも忘れてしまうので。 1986年1月、「うかれ猫のひとりごと」自費製作。コピーによる。62p。 1986年、全国高等学校文芸コンクール詩部門で優秀賞。「寒すぎる冬」 1987年、全国高等学校文芸コンクール詩部門で優秀賞。「無題(道化者)」 1990年、関西文学詩部門最終選考に残る。「向日葵」 1995年6月、「やはり野におけ れんげ草」出版。新風舎。65p。 1995年、コスモス文学詩部門奨励賞。「オホーツクのうた」 1995年、コスモス文学詩部門新人賞。「春の縁側」 現在にいたる。 |
うかれ猫本人について |
・・・はもう、いまさら語る必要はないかもしれません。(?) ただ、私にはいろんな顔があるので・・・各方面で知り合った方々には、このページでいろいろ 新しい発見をしていただけるかもしれません。 出身地は大阪府、現在は愛知県在住。 小6の時に詩を書きはじめ、中学時代は多くの友人の影響を得て、どんどん書きつづける。 高校時代はフォーク部に所属しつつ、友人のつてで、もともと入りたかった文芸部の 幽霊部員として原稿を書く。 大学では、念願の文芸部員となる。年2回発行の部誌「華城」、およびミニコミ誌を作る。 これらは、当時の部員たちのはちゃめちゃなキャラとは対照的な、真剣な活動だった。 卒業後進学し、2年間宮澤賢治の作品研究。修士論文『賢治童話における食の考察』 その後講師をしながら、根無し草の日々を送る。通信制大学への入学。 そんな日々の中で、『やはり野におけ れんげ草』出版。 今思えば、あの根無し草時代ほど、自分というものが等身大に把握できた時代はなかった。 もう一度、自分を確認したいという思いにかられる今日この頃です。 アウトラインとしては、こんなプロフィールでいかがでしょうか。 |
うかれ猫をとりまく人々 |
たくさんの人に支えられてきました。 学生時代の、かけがえのない友達。 講師時代に知り合った、どこかクセのある友人たち。 通信制大学で出会った、明るく、ひたむきな友人たち。 そして恩師、子どもたち。 作品のモチーフは、そんな人々とのやりとりから、自然に生まれてきます。 中でも、書くことを応援してくれる友人は、心強い存在です。 このHPを立ち上げるに際して、いろいろアドバイスしてくれた、まるもさん、 ことTOMさん、ことMちゃん。あなたの応援がなかったら、私はこの計画を 抱えたまま、日常に埋もれてしまっていたことでしょう。 「走らなければ!」という思いにさせてくれて、ありがとう。 |